レロンソン

 

 「KAIZEN YOSHDA SCHOOL」を成功させることが、まず私に課せられた使命だと考えています。ところで、吉田様が考えておられる「日越百年構想」とは、どのようなものなのでしょうか?


 

吉田様

 

 私は常々、日本とベトナムが真のベストフレンドとなるためには100年はかかると言っています。100年の歳月を愚直に一歩一歩努力をしていかなければ、そんな急にベストフレンドになれるわけはありません。M&Aの話ですが、企業と企業が真に統合するためには、私の経験から言わせていただきますと、最も長い場合20年かかります。であれば、国と国がベストフレンドになるためには、相互理解をし、文化の問題、考え方の問題を解決していくのに、100年は決して長くはない。それらをしっかりとお互いがやっていくことによって、真のベストフレンドになれるのだと思います。
 そんな話をしますと、「吉田さんはいくつまで生きるつもりだ」と言われますが、私はそのための礎を打てばいいのです。その後は日越の優秀な方々がきっと私の考えを引き継いでくれるに違いありません。


 

レロンソン

 

 壮大な上、大いに現実味溢れるお考えです。両国の発展を目指す「日越百年構想」の一助に弊社がなれたことを、大変嬉しく思います。その「日越百年構想」の初期段階である現在の両国の関係はいかがお考えでしょうか?


 

吉田様

 

 この1年を振り返ってみると、日越間の交流は、今までの歴史上、一番激しく動き始めています。ベトナムの首脳陣は皆さん日本にいらっしゃいました。日本からも歴代総理が行っていらっしゃるし、経済人も数多く訪越しています。ベトナムにこそ今後発展の余地ありと思っている方々は無数にいらっしゃいますし、ベトナムというキーワードが経済新聞に出ない日は無くなってきています。今はそういった、両国の緊密度の飛躍的向上がみられている時期です。


 

レロンソン

 

 ベトナムの歴史を見ますと、今から100年ほど前、フランス植民地から独立しようと、ファン・ボイ・チャウ1 が革命を起こしました。当時アジアの中で欧米に対抗できる国はどこかというと、それは唯一日本だけでした。そこで彼は、先端技術を学ぶために日本に留学することをベトナムの青年に呼びかけ、ドンズー(東遊)運動2 を起こしたのです。
 それから100年を経たわけですが、今でも、ベトナムは日本を「お兄さん」と見ています。「日本に学びたい」と、憧れているわけです。ベトナム人は、敬意をもった相手には利害関係を考えずに奉仕します。実際に今、政財界をはじめ日越が非常にいい関係を結びつつある。さらに、吉田様が真のベストフレンドとしてベトナムを見てくださっている。必ず日越は、ベストフレンドの関係を結べると思っています。


 

 

 

1 ファン・ボイ・チャウ (Phan Bội Châu:1867年-1940年)
 ベトナムの民族主義運動の指導者。10代の頃から反仏独立運動に参加。 ベトナムの青年を日本に留学させるドンズー(東遊)運動を興した。



2 東遊(ドンズー)運動
 19世紀末からベトナムで発生した民族独立運動。1904年、ファン・ボイ・チャウらによって反仏運動の結社が組織され、1905年、チャウは日本に渡って武器援助を仰ごうとしたが、大隈重信、犬養毅らから武装蜂起の考え方を批判され、代わって人材育成の重要性を説かれた。チャウはその忠告を聞き入れ、ベトナムの青年らに日本への留学を呼び掛けた。科挙に合格していた青年ら200人以上が日本に留学し、この運動は「東遊運動」と呼ばれるようになった。
 東遊運動はフランス植民地支配からの脱却を目指し、チャウは独立運動の若い指導者を育てようと同志を募って民衆からも資金を集めた。優れた青年らはこうして日本へ送られた。